【日々是的古代史論】001-どこから始めようか男大迹王からかな?

このサイトは音楽に関することが主だけれども、自分のBlogでもあるので、いくつか古代史について思っていることを書いてみたい。というのは、古代史について本や情報を調べてはいるのだが、私の考えに合うものはなかなか見つからないのである。ただ、単発ではなくその背景からいくつかの時代や記録にまたがると思っているので、どこから始めようか、またどのように書こうかと悩んでいる。とりあえずわかりやすく継体天皇のもとに物部麁鹿火と大伴金村が向かうところから始めようか。。。


001-01-男大迹王が麁鹿火と話し合う

首を傾げながらその話を聞いた男大迹王(ヲホドノオウ)は、後ろに控えていた河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのあらこ)をちらりとみた。前には物部麁鹿火と大伴金村が座っているが、この者たちは大和組の若頭、いわば敵方の大幹部である。河内組に属する男大迹王としては、タマを狙われてもおかしくない間柄なのだ。

いや、敵と簡単に言える立場ではない。九州の筑紫組倭国連合に対しては河内組と大和組で共同して畿内同盟として交渉している間柄なので、近々には競い合っているが、外部からは同盟関係なのだ。潰し合えば、簡単に倭国連合が漁夫の利を得に来るだろう。

「わしに同盟の長になれというのか?」と男大迹王は疑わしげに麁鹿火に聞き返した。なにか罠があるのでは、といういかにもな雰囲気である。

「ぶっちゃけて言うと」と麁鹿火が返事をする。「大和の方はわしが取りまとめてはいるが、ご存知の通りなにせ組長になる資格がない。ま、わしは武闘派じゃからそもそも組を政治的にまとめていくのは無理だわ。」すなわち物部麁鹿火は大和組では若頭的な位置ではあるが、血筋的に組長になる資格がないということだ。元祖ともいうべき筑紫組長の手下の筋である。

「金村もおるではないか?」と言ってちらりとみると、すでに大伴金村は震え上がっている。まあ頭は良くてもこういう場には向かない、ということなのだろう。

「確かに金村は頭は良いが、やはり肝がのう。筑紫組とドンパチになったら寝込むと思うわ。」と麁鹿火が情けなさそうに言うが、金村はただウンウンと油汗をかきながら頷いている。血筋に関しては大伴も同じである。「もう大和と河内で争うてはおれんじゃろ。筑紫の方も海渡ってドンパチやろうとしとるんじゃから、やると決まれば兵隊を出せと行って来るに決まっとる。そりゃ海の向こうに土地を持てば筑紫は嬉しいじゃろうが、わしらはたくさんの血の汗流しておこぼれはほんのわずかじゃ。それでも勝てばよいが負ければ目も当てられん。
うちの先々代の大泊瀬 (おおはつせ)がめちゃしよって河内にも大きな迷惑をかけたんで、恨んどるだろうことはわかっとるんじゃが。」

首を傾げながらその話を聞いた男大迹王は、後ろに控えていた河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのあらこ)をちらりとみた。河内組の意見を知りたかったのである。荒籠はそもそもこの三人に並ぶ地位にはないので、口には出さず否定はしないようにという合図を送った。男大迹王には伝わったようだ。

「しかし、わしが大和に乗り込もうとすれば、反発する若い衆も多いんじゃないかい。無駄死にはしとうないなあ。」

「わかっとる。跳ね返りは儂らの方でもできるかぎり抑える。まず河内組の領内で同盟の長になればよいのではないじゃろか?」物部麁鹿火は苦々しげに返事をした。大伴金村は顔色が悪いようだ。腹の調子も悪くなってきたのか、軽くお腹をさすっている。

「うむ、話はわかったが簡単にここで返答できるようなことじゃないわ。河内の面々とも話をして返事することにしよう。それでよいか。」
「もちろん今日即座に返事がもらえるとは思うとらん。だが筑紫のことを考えてくれ。くれぐれも頼む。軍事面はわしも全面協力したいと思っている。」

物部麁鹿火と大伴金村が去ったあと、男大迹王と荒籠は先程の提案に関して話をしようとしていた。地位的には荒籠は低いが、河内から離れた場所に住む男大迹王にとっては連絡役であるとともに相談役でもあった。

「今の話、どう思う。」

「そうですね、大和組の方も本当に困っているんじゃないかとは思いますがね。なんせ先々代の大泊瀬組長が無茶したんで河内組からは疎まれるわ、組内に組長候補がいなくなるわ、相当に大変なのでしょう。」

「血筋のことは知っとるが、やはり麁鹿火じゃだめかのう。あいつ武闘派も武闘派、戦闘力は河内組を入れてもぴか一じゃろ?」

「ですが、組長宣言すると、筑紫連合のほうから反旗をあげたのかと疑われますしね。また人の組織としてまとめていくには武闘派は向いていないでしょう。本人がわかっているところは大したもんだとおもいますけどね。」

「あの金村と言うやつはどうじゃ?」

「頭は良さそうですが、ひ弱な感じですな。裏の手を使うとひっかかりそうですが。」

「ま、わしの方も河内から呼ばれとるから、もう少し南の方へ下って様子をみるかの?」

「それがよろしいかと。」

その後、507年に河内国樟葉宮(くすはのみや、現大阪府枚方市)において即位し、武烈天皇の姉にあたる手白香皇女(仁賢天皇皇女・雄略天皇外孫)を皇后とした。511年に筒城宮(つつきのみや、現京都府京田辺市)、518年に弟国宮(おとくにのみや、現京都府長岡京市)を経て、526年に磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや、現奈良県桜井市)に遷るが、この話は磐井の乱とつながるので、次の話としよう。


というわけで、私が考えるには河内と大和も内々にどちらが主導権をもつかで対立構造が存在し、しかし対筑紫組倭国連合(いわゆる倭国である)に対しては、一枚岩として相手をしなければならないという構造を持っていたのだと思う。そうだとすると、河内組に担がれようとしている男大迹王の下へ、大和組の物部麁鹿火と大伴金村が来れば怪しむのは当然と言えようか。

この対立構造というか内部的な2頭制は、筑紫の磐井の乱のときに男大迹王が、「長門より以東は朕これを制す。筑紫より以西は汝これを制せよ。」と物部麁鹿火に述べたことでもわかるだろう。男大迹王の単独トップではなく、2つの組織の合体であることが推測され、河内の男大迹王は長門より以東を、大和組は筑紫より以西を、と分割提案したと考えるのが自然だろう。この組織対立の話は、蘇我馬子のあたりでより詳細に書きたいと思う。

001-終わり

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